『すずめの戸締まり』を観た
『君の名は。』のラストシーン、瀧と三葉がお互いを探すのをみて「俺たちは瀧と三葉ではなく新海誠を応援していた」なんて騒いでいたのが懐かしい。……懐かしいのは当たり前で、もはや6年も前の作品である。
6年経った作品で、新海誠は違う世界を見せてくれた。”俺たちの新海誠” と言ってた “俺たち” はどうだ。『天気の子』は “俺たちの新海誠” が顔を見せたと思ったものだが、実はチラと後ろを振り返っただけなのかもしれない。
ここで言っておくべきこととして、僕は大人になった(のだと思う)。4歳の娘を育てる親であるし、会社の役員でもある。それぞれ、それなりに自覚もある。
ぼくはたぶん “俺たち” ではない。けれども、僕は “俺たち” の気持ちを忘れたくない。というより、僕はあのころの奇妙な作品たちで育ったから、思い入れがある。もっといえば、僕は『秒速5センチメートル』が好きすぎて憎いような男なのだ。
その上で、あくまで僕の目ではだが、『すずめの戸締まり』に『君の名は。』以前の新海誠を持ち出すべき箇所はなかった。その意味で『すずめの戸締まり』の中に “俺たち” の姿はない。この映画には、青春真っ只中の中高生を中心に、家族連れ、映画好き、ミーハー、そういう人で溢れている。
これは、ある意味で残酷なのではないかと思った。
『シン・エヴァンゲリオン』は「僕は大人になった、君はどうだ」と投げかけていた。”俺たち” を見て。だから、首を横に振ることも縦に振ることもできた。
一方『すずめの戸締まり』は、ただただ良い映画だった。ロードムービーと、ボーイミーツガールと、ファンタジーが絡んだ魅力的なストーリー。それを”彩る”というにはあまりに贅沢な音響・映像。震災を見つめ直す中で滲み出る作品のテーマ。そのすべてが上質だった。間違っても、「僕は大人になった」などというメッセージを入れるような作品ではなかった。
この映画は、日本アニメーションの巨匠の風格があった。もっといえば、ジブリのような風格があった。
視聴のあとで知ったことだが、この映画は「新海誠監督 集大成にして最高傑作」という触れ込みになっているらしい。知ったときに思わず笑ってしまった。
僕はもう1回この映画を劇場で観るだろう。”日本の新海誠” の最高傑作を。